地域の神社 等

 本学区内には、4つの神社と1つのお寺があります。 

八  幡  宮
 (上梁地区)

 「わっしょい。 わっしょい。」
 力強いかけ声と共に地区を練り歩きます。

由緒書(石碑から)

 社伝では、当社創建は、源頼義が奥州の阿部氏追伐の途、当地で勝戦を祈願し、後の康平六年(1063年)凱族するに当たって神恩に感謝し、社殿を建立したことによると云われる。
 文治五年(289年)、結城朝光は源頼朝の軍に従い奥州征伐に参加し、武功をたて帰国すると、頼義の先例に倣って、居城の東北(辰)に位置する当社に特別の崇敬を寄せた。それ以降、代々の守護神として手厚く保護されている。
桜の花咲く参道に御輿が似合います。

天  満  宮
( 休地区 )

人家のはずれに、ひと際背の高いけやきの木と朱塗りの鳥居が目を引く。

香 取 神 社 
(下梁地区)

 鳥居をくぐると大きな銀杏と萱の木がそびえ立っている。境内には萱の実とギンナンが所狭しと落ちていた。

中河原神明宮
 (中河原地区)

ここには、小山市指定文化財(無形民俗文化財)である、「中河原の廻り地蔵」がある。今でも、当番の家に安置され、祭られている。立て看板によると、
「中河原の廻り地蔵については、二つの伝承が残っている。
 一つは、「江戸時代の享保年間(1716〜36年)大塚太右衛門と呼ばれる人物が自ら制作した木像の地蔵尊を担いで全国を3回も経巡った後に、この地蔵尊を中河原村に残したが、全国を廻り続けた地蔵尊なので一定の場所に安置すると村に変事や災いがおこるといわれ、今なお地区内を廻している」という。
 もう一つは、「昔、この村をたまたま通りかかった六部(諸国を歩く巡礼)が行き倒れてなくなったため、その者が背負っていた地蔵尊を死者の供養のためにと村中を廻すようになった」というものである。
 中河原の廻り地蔵には、地区内の各戸を一定の順序で廻る「回り仏」の素朴な信仰が昔からの形態を変えることなく生きつづけており、かつての民間信仰の一端を伺い知ることができると共に、県内でも数少ない「巡行仏習俗」として貴重な存在である。」


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