小山用水・野木幹線

市制55周年記念イベントとして、東京まで舟で行く出発式
(平成21年10月10日)

集落のはずれにある由来を記した説明板   集落の辻には、御札をさした青竹を立てる民間信仰が残る

乙女河岸
 

北関東と江戸を結ぶ物資の輸送には、荷車を使う陸上輸送よりも大量に安く運べるという利点から川舟が多く利用された。この川舟の発着場が河岸と呼ばれ、河岸問屋があった。
 河岸問屋は、川舟を手配し、積み荷の上げ下ろしや保管などの仕事を任されていた。
 学区内を流れる思川には、下流から、「生井」、「生良」、「乙女」、「網戸」などの河岸があった。このうち、乙女河岸は、思川の左岸にあり、日光街道にも近いことから、日光東照宮の造営・修理の建築用材や、将軍の日光社参の荷物輸送などにも大きな役割を果した。特に、慶長5年(1600年)、徳川家康が会津の上杉氏攻略の際に兵糧米や武器類を陸揚げし、小山評定によって、石田三成と戦うため江戸に戻る際に、乙女河岸から一行が舟で江戸に向かったことでも知られている。市立博物館に模型が展示されている。

模型<小山市立博物館写真撮影協力・掲載許可>

現在の様子