小山用水・野木幹線

小山用水・野木幹線用水路
 小山市の地形をみると、思川を境に西側は沖積地で水田が多いが、東部は台地が多く、水不足に悩まされていた。このため、大正7年(1918年)、当時の小山町長塚原善四郎を中心に、小山町・桑村・大谷村・国分寺村による「耕地整理組合」が設立認可され、翌大正8年(1919年)には、間々田村・野木村もこの事業に加わり「小山町外五箇村耕地組合」として本格的に事業が開始された。同年5月には、国分寺村の姿川から市内神鳥谷までの幹線用水路「小山用水」が完成した。その後も工事は進められ、大正時代の末には、水路は、何本も枝分かれしながら市東部の台地を抜け、野木まで達した。そのうちの1本が、通称「野木幹線用水路」と呼ばれ、学区内の暁3丁目と乙女楓山の東側を流れている。