乙女人車鉄道


 間々田駅と乙女河岸を結ぶ約2km余りの人車鉄道。網戸の加藤忠吉氏によって、鉄道敷設の特許が内務大臣に出願され、間々田駅まで鉄道で運ばれて来た荷物を人車鉄道で乙女河岸に運び、さらに乙女河岸から船で東京に運ぶという目的で、明治32年(1899年)4月14日に開業したが、荷物を積み替える不便さや思川の改修工事のため、当初の目的を果たせず、やがて思川で採取された砂利を運搬するため、大正元年(1912年)に「乙女砂利専用鉄道」と改称されたが、大正6年(1917年)6月26日廃業となった。

  参考文献:大町雅美「栃木県鉄道史話」(1981年 落合書店)

市立博物館方面から、主要地方道藤岡乙女線へ通じる旧道。明治時代に陸地測量部によって作成された1:50,000旧版地形図にも描かれている。昭和50年代〜60年代の区画整理の際にも、直線化されず、昔のまま緩い曲線を描いている。
この旧道が間々田駅からの人車鉄道のルートにあたるらしい。

主要地方道藤岡乙女線から左方向に分岐する道路が
川岸の集落への旧道.。
この旧道ぞいに、敷設されていたらしい。

川岸の集落