日光街道

 五街道の1つで、江戸日本橋を起点として、現在の国道4号線にほぼ沿うように、埼玉県東部を通って、栃木県南部を縦断して宇都宮から日光に至る。江戸時代、大名の参勤交代や徳川将軍家の日光社参をはじめ、旅人の往来や物資の輸送などに幅広く利用された。奥の細道で松尾芭蕉も通ったと言われ、伊能忠敬の「大日本沿海与地全図」にも街道沿いに「乙女村」と描かれている。学区内の街道ルートは、寒沢から乙女八幡宮付近までは現在の国道4号線の少し西側を通り、乙女八幡宮付近からその先は、国道4号線に沿って間々田八幡宮入口付近に至る。江戸時代の街道の名残としては、寒沢地内の日光街道と網戸渡船場道との分岐点に、文化10年(1813年)に建立された「道標」があり、「これより左 乙女河岸、あじと とちき さのみち」と記されている。また、この近くには「乙女一里塚」があったと伝えられている。さらに北上して大字乙女と大字間々田との境付近に、江戸へ18里、日光へ18里の中間地点として「逢の榎」が植えられている。なお、日光街道から、西に入った町谷には、文政6年(1823年)に建立された「道標」があり、「右 山川 しもつま もろ川、左 まま田 小山 いうき」と記されている。

乙女一里塚跡付近の国道4号線

逢の榎