寒川尼(網戸尼)

寒川尼(寒河尼・網戸尼)
 保延4年(1138年)、宇都宮宗綱の娘として生まれ、京都で育ち、源頼朝の幼少時に乳母を務めていたといわれている。その後、小山政光に嫁ぎ、息子の小山朝政・長沼宗政・結城朝光らは、源氏に従い平氏との合戦や鎌倉幕府の要職について活躍する。
 吾妻鏡では、頼朝の挙兵に際し、京都大番役で留守中の夫政光に代わり、14歳になる息子七郎(後の結城朝光)を連れ、隅田宿に馳せ参じた様子が描かれている。
 その後、文治3年(1187年)には、頼朝から下野国寒河郡ならびに網戸郷の地頭職を与えられた。夫の死後、寒河尼(あるいは網戸尼)と称し、安貞2年(1228年)、91歳で没した。孫にあたる網戸十郎朝村(結城朝光の子で網戸氏の祖)の開基と伝えられる網戸の称念寺には、朝村とともに寒河尼のものと伝えられる墓がある。

 
                       (源頼朝 花押)
   「下す 下野国寒河郡ならびに阿志土(網戸)郷
    早く 小山七郎朝光の母堂を以て地頭職と為すべき事
    右件の所、早く朝光の母堂を以て、地頭職を執行せしむべし。
    住人宜しく承知し、違失することなかれ。 以て下す。」
                     文治3年12月1日